銘駒資料館では、資料的価値を持つ銘駒を掲載します。

駒写真の他、銘駒資料館に保管すべき資料はカテゴリーにこだわらず掲載していきたいと思います。
 

資料ですからなるべく詳しく一つ々すべての駒の写真を掲載すべく努めます。

なお、ご投稿は歓迎します。


豊島作 羽前書

俊則花押 書き駒
  在りし日の金井静山

或る老駒師のはなし



金井静山 (本名:金井秋男) 1904年〜1991年。歴史に残る名工。皆様ご存じの通りです。この度、北田義之(銘:如水)様のご厚意により、在りし日の金井静山師のスナップ写真他を銘駒資料館に掲載させていただける運びとなりました。本ページがわたしたち駒好きが愛する金井静山師の在りし日の姿を忍ぶ場所になれば幸いに存じます。

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

    将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)    

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)
 
将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)   将棋駒 駒師 金井静山 (本名:金井秋男)

将棋駒 金井静山作 制作中
 
将棋駒 金井静山作 制作中

将棋駒 金井静山作 制作中
 
将棋駒 金井静山作 制作中





『或る老駒師のはなし』 北田義之/季刊「将棋ペン倶楽部」1991年8月31日発行

ま、お茶をどうぞ。
どうです、その後、駒の方は。ホー これあなたの駒ですか。ヘエー 上手になりましたねえ。
で、ひと月に何組作れます? たったひと組? 少ないですねえ。あっ、そうか、あなたは勤めがあるからねえ。
チョットここにキズがありますよ、ホラ。私はこういうの我慢できませんね。丁寧に作らないといけませんよ。
どうしたらうまく作れるのかって聞かれますが、一番大事なのは丁寧に作ることなんです。
それからね、もう少し盛上げを全体に低くした方がいいですね。漆がちょっと多すぎると思います。筆が悪いのかなあ。これを使ってご覧なさい。
私はね、若い頃には月に五、六組作っていましたね。もちろん盛上駒だけです。
朝から夜遅くまで作っていました。いいものを作ろうと一生懸命でしたよ。あなたもいい駒を作りなさいよ。盛上げをうんと練習しなさい。
彫駒は天童にまかせておけばいいんですよ。
しかし、この節は漆の質が悪くなりましたね。よっぽど丁寧に磨いてもニジミが出ることがありますよ。あなたはどうです?
やっぱりニジミますか、そうでしょう。十年ほど前までは漆がニジムことなんて決してありませんでしたがねえ。
漆だけではなく近頃の駒材は新しいものが多いですからね。その点、古い材料はいいですね、木の肉が締まってますから。
私が駒を作り始めた年ですか?
えーと、三十七、八歳の頃かな、遅いんですよ。親父が遊び人でしてね、落ちぶれて古道具屋始めたんで、私も店番をしていたんです。
近所に骨董や古道具の好きなおじいさんがいましてね。よく遊びに来てました。
或る日、駒材と彫る道具を持って来て、私に駒を彫ってみないかと言うんです。そのおじいさんが、ほら、あなたも知っているでしょ。豊島龍山ですよ。
試しに彫ってみましたが、なかなか思うようにはいきません。そりゃひどい彫りでしたね。
おじいさん、それでもいいから彫ってくれって言うんです。
豊島のおじいさんは息子さんと一緒に御徒町で駒屋をやっていましたが、忙しかったんでしょうね。
店に何度か行ってみましたが、息子さんは彫るのも、盛上げるのも、そりゃ早かったですよ。おどろきました。
親父の古道具屋はロクな品物も置いてませんので客も来ないんです。暇ですから少しづつ彫っていました。
私は子供の頃から病弱で、その頃も結核で勤めも力仕事もできませんでしたし、人と話をするのも好きじゃありませんでしたので駒彫りは性分に合っていたんでしょうかねえ。
一年くらい経った頃、昭和十三・四年頃だったかな、息子さんが食当たりで亡くなって、それからまもなく、今度はおじいさんも亡くなりましてね。子供の頃から仕込んでいた息子さんに死なれて、おじいさん、ガックリしたんでしょうねえ。
私もいくらかマシな彫りができるようになって来た時でしたので、本当に困りました。
その内に息子さんの奥さんが家に訊ねて来て、駒材が沢山残っているので駒を作ってくれないかって言うんです。
作ってくれって言われたって、なにせ彫る事しか知らないんですから困りましたよ。
どうやって彫埋めにするのか、どういう筆で盛上げるのか、何も知らないんですから。
それで、私が彫って奥さんが彫埋めに仕上げたものに私が盛上げて「龍山作」の銘を入れて渡していました。
初めの頃はロクな物は出来ませんでしたよ。漆の表面にシワはでるわ、デコボコになるわで大変な駒でしたね。
奥さんの持ってきた材料で何組くらい作ったかなあ。千組は越えるでしょうね。十五年ぐらい作ってましたから。
とにかく、駒の作り方を教えてくれる人もいないし苦労しましたね。自分でいろいろ工夫したり研究もしましたよ。
駒らしい物が作れるようになったのは五十歳頃ですね。宮松のおじいさんも教えてくれって何度も家に来ました。
時々、自分の作った駒を見せに来ましたが、それは大変な駒でしたよ。でも息子さんの影水さんは腕が良かったですね。
おじいさんは私から教わったことを息子さんに教えていたらしいです。
その後、おじいさんが亡くなって、影水さんが一人前になってから、彫りをずい分手伝いましたよ。あ、そうだ、中村潜龍さんの駒もずい分作りましたね。
その頃は、あちこちから取材の話しがありましたが全部断りました。
私はそういうことに興味もありませんし、第一、忙しくてそんな暇ありませんよ。
趣味ですか? 何もありません。駒を作っていれば満足ですね。他に何もできないんですから。
どうです、お茶をもう一杯。
この間、あなたに戴いたお茶、おいしかったですねえ。私はお茶の味にはうるさいんです。
昔、駒で食べられない時分、お茶屋をやっていたこともあるんですよ。
店にいくらかのお茶を並べて、店番しないで駒を作ってました。店番が居ないんだから売れるわけありませんわねえ。やめちゃいました。
しかし、考えてみると駒職人になるなんて夢にも思いませんでしたね。
昔、親父は芝の大門で大きな質屋をやってましてね、母親は日本橋の金物屋の娘で、厳しい人でした。
私は子供の頃から体が弱かったんで、女中に連れられてよく湘南の海へ療養に行きましたが、今考えると子供の頃はとても恵まれていましたね。
しかし、人間てのはお金がたまり過ぎるとダメですね。親父が妾は作る、芸者遊びと道楽をはじめて四つあった蔵が次々と人手に渡って、おまけに戦災、震災でしょ。
三度焼け出されて無一文になりました。落ちぶれて揚句のはてが古道具屋ですよ。引越しする家からいらない物を安く買っては売っていました。そりゃ、哀れなもんでしたよ。
しかし、人生なんてわからないもんです。仕方なしに古道具屋の店番をしていたのが縁で駒職人になって今まで生きてきたんですから。
多少の貯えもできたし、八十過ぎても仕事をしていられるんですから有り難いことです。
でも、この節は目がダメになってきました。駒尻の銘が書けないんですよ。トシだからね、仕方ないでしょうね。
昔、上野の百貨店に行きましたら、駒が並んでましてね、尻の銘のヘタな駒だなあと思って良く見たら自分の駒でした。
いや、恥ずかしかったですねえ。それから一生懸命練習しましたよ。尻の文字にはいつも神経を使いますね。
ところであなた、家族は? 息子さんが二人おられる。そりゃ楽しみですねえ。
私はズーッとひとり暮らし。一度結婚したんですが女房と姑の折合が悪くてすぐ別れました。それきりです。
幸か不幸かわかりませんが、ひとり者だからこれだけ駒を作れたんでしょうね。
駒だけで家族を養うのは大変なことですよ。手間が掛かる割にお金にならない仕事ですから。
宮松さんは家族が多くてねえ。おじいさん、おばあさん、それから兄弟が六、七人いましたかねえ。いくら腕のいい職人と言っても生活は大変だったと思いますよ。お酒も好きでしたが仕事で体をこわしたんでしょうね。四十三歳で亡くなりましたよ。
しかし、宮松さんが生きていたら私の駒なんぞ売れなかったでしょうね。宮松さんには悪いですが、私は運が良かったんですね。
私だって一人前にお金を取れるようになったのは十四、五年ほど前からなんですよ。
私と同じくらいの年齢で駒を作っている人は、あと名人の弟さんの木村文俊さんくらいかなあ。えっ、亡くなった? そりゃ知りませんでした。
昔ねえ、駒の材料を譲ってもらいに木村さんの家に行ったことがあるんですよ。そしたら「素人に売る材料はねえよ」って言われましたよ。木村さんは確か私よりひとつ年上だったかな? そうですか、亡くなったんですか。
私がどうしてこんなに長生きできたのか、自分でも不思議に思いますね。
若い時から結核でゴロゴロしてましたし、兄弟も皆、若死して今は当々私ひとりです。
しかし、いろいろ浮き沈みはありましたが、駒職人になって幸せでしたね。つくづくよかったと思いますよ。
今はあまり駒を作りませんので、たまに訪ねて来る人と駒や昔の話しをするのが楽しみですね。
時々、若い自分に作った古い駒を見せてくれる人がいますが、いい色になっていてねえ。素人とたいして変わらないような私の駒を大切にしてくれる人がいるんですねえ。うれしいもんですよ。駒ってのは本当にいいもんですねえ。
何? もうお帰り? また遊びにいらっしゃい。必ず駒を持って来なさいよ。

-----老駒師の名は金井静山。明治三十七年、東京、芝の生まれ。三十七歳で駒師となり、多くの名品を残した。今年一月老衰のため死去。享年八十六歳。人は表面のみでは分からない。師を人は変人、人嫌いと言うが、腰の低い温厚な紳士で、実に心の暖かい人であった-----。




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