「銘駒コラム」はわたくし梅水の将棋の駒と将棋、その他諸々に関するコラム(不定期な日記というべきかもしれません)を掲載するコーナーです。掲載は不定期で思いつくまま都合のつくまま書かせていただこうと思います

また、「銘駒図鑑」の更新情報、お知らせ、今後の方針、スケジュール、その他ニュース、トピックスなども書かせていただきたいと思います

ここで述べますことは駒に関することもその他のことも全く個人的な意見です。読まれたとき気分が悪くなるようなことがありましたら、読むのを止めてください
 

悪意はなくとも自分と異なる意見には気分が悪くなる場合もあることと思います。これは、気楽に思いついたことを書くためのあらかじめのいい訳といえます

思いついたことの中には、政治、宗教、哲学に関わる事柄もあるかもしれません(あるかなぁ)

ご感想、ご意見、ご批判はメールでいただきます。ご返事は必ずできるとは限りません。非常にわがまま勝手な企画です。お許しください。《これからも駒写真を頑張るなら許してあげるよ》 : 天の声

コラムの中では天の声を 《 》 で囲っています


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209年9月17日(木)

峯書

わたしは今まで駒を手放した(売った)ことは一度もなかったのですが、ついに1組手放しました。寂しいかといえばそうでもない。駒とは研究者というスタンスで付き合ってきたからでしょうか、蒐集家といわれる度に何か抵抗を感じていました。今では所有欲たるものも弱く、人様の所有する駒を見るだけで満足というていたらく?今後、少しずつ所蔵駒を放出する考えです。銘駒図鑑で「銘駒オークション」として出しますのでお楽しみに。

さて、今回は峯書(みねしょ)について。右の写真は銘駒図鑑立ち上げの時期に投稿して頂いた駒です。正直にお話ししますと、その頃は特にそれほど感じませんでしたが、今改めて拝見しますと「うわぁー!」です。治五郎さんすごーい!です(笑)見たところ、細く浅い彫りですが、ここに彫り駒の一つの魅力があり、プロの芸を見ることが出来ます。竹風のこの峯を見よ!といいたい。品がいいですね。

わたしはアマだプロだと比較論を口にするのも聞くのも好きではありませんが、このような駒を前にすれば黙って聞くしかありません。やはりプロとアマは違うのです。

ただし、誤解しないで頂きたいのはプロが上でアマが下といっているのではありません。プロとアマは違うのです。このように力が抜けてもレベルを保てるのは一流のプロの証ではないでしょうか。

将棋駒 竹風作 峯書 彫埋 島ツゲ糸柾目
竹風作 峯書 彫埋 島ツゲ糸柾目(滋賀県 乾 様 所蔵)

 

将棋駒 影水作 峯書 字母
影水作 峯書 字母

もっともこの駒をこれほど好きに感じるのはわたしだけかもしれません(笑)わたしの視点は業界の主流から外れているかもしれませんから。

おっと、左は影水の仕事。今回のおまけです。

上手いもんです。王将と玉将の違いのリズムが影水流ですね。影水は多くの書体で同様のリズムを導入しています。上の写真の竹風作では、その違いがありません。竹風師、その辺は気にしません。というか、ご自分のテーマになかったのでしょう。大竹師はデザイナーではないのです。

デザイナーと作り手ではその才能は別物です。

しかし、それにしても本作は魅力的です。でも、雅峰ギャラリーにある峯書の彫りもいいですよ。それは、影水の拘りのデザインに、雅峰師の拘りの彫り。竹風作峯書と雅峰作峯書のどちらも鑑賞できれば大いに満足。


2009年6月19日(金)

思眞作無劍書

今回の駒は思眞作の無劍です。暗い部屋、蛍光灯の下で撮影。ボケちゃいましたね。

さて、そもそも無劍というのはどんな駒なんでしょう。 ..と書いてみたところで解説できるわけでもないんです。よく分かりません。しかしですね、まず、駒形が大きいですね。勇壮なイメージでしょうか。

無劍駒といえばまず思い浮かぶのが田中寅彦九段所蔵の無銘無劍です。素晴らしいです。作者は静山か!?最高の無劍との声もあります。ここにもあります→ http://meikoma.com/guest5.html ご覧になってみてください。

思眞師曰く、こういう駒だから雅なイメージなんでしょう。ガーン、そう来たか。考えたことがなかったですね。今回、わたしはとやかく言いません。どうか皆さん、無劍を肴にあれやこれやと議論なさってください。

将棋駒 思眞作 無劍書
思眞作 無劍書


無劍が何者かはともかく、写真の作はなかなかのもの。無劍のあるべき姿の一つを提案しています。さすが将来の第一人者たる思眞師。

2009年1月2日(金)

謹賀新年 (二組の菱湖)

明けましておめでとうございます。 本年も銘駒図鑑をよろしくお願い申し上げます。

わたし、昨年、今年と2年間、年賀状を一通も出しませんでした。《世捨て人だね》 今年はさすがに一通も来ないだろうなと思っていましたところ、それでも元旦に6通の年賀状をいただきました。この場を借りてお礼と..不義理のお詫びを申し上げます。その理由などはくどくど書きません。

将棋駒 松尾作菱湖書 赤柾と縮み杢 写真 1
松尾作菱湖書 赤柾と縮み杢 写真 1

写真の駒は銘駒図鑑では既にお馴染みの松尾作菱湖書の二組です。コラムでもちょっと前に掲載したばかりですが、元旦に頭に浮かんだのがこの二組だったのです。

松尾作は昨年オークションで出品され高値が付いたことが記憶に新しいところです。彫り駒といえども、その品質と手間を考えれば当然ともいえる価格です。残念なことにわたしの手元にはオークションに出すことのできる松尾作が一組もありません(笑)

松尾作でわたしがお勧めなのは圧倒的に菱湖です。松尾師はデザイナー影水の仕事をほぼ完全に再現されました。この完成度をご覧ください。

ところで、影水はデザイナーとして完結した仕事を残しました。それ故、再現可能なのです。もちろん、その再現は誰にでもできるというわけではありません。

本作のように素晴らしい再現は修練と熱意のなせる技であり、更に然るべき本歌との出会いが必要となります。

デザイナー影水と比べると、奥野などはもっとも再現の難しい作家の一人であるといえます。これは再現を目指すべきではありませんし、影水と同じにように考えてはいけないのです。

わたしは奥野の再現で成功した作品を未だに一度も見たことがありません。もし成功したといえるならばそのときはもはや再現というべきではないのかもしれません。

もっとも奥野作の本物でも「奥野」の再現に成功はしていないと思います。《この意味は分かる方だけが分かればよいことですね》
将棋駒 松尾作菱湖書 赤柾と縮み杢 写真 2
松尾作菱湖書 赤柾と縮み杢 写真 2

ところで、この点、金井静山についてはどうだと思われますか。静山作の数は実に多いですね。しかし静山は本来再現などできるものではありません。このことが理解できれば、数多い静山の出来・不出来を見分けることの秘訣になるといえるかもしれません。

2008年11月12日(水)

赤虎と青虎

今回はお約束通り駒の話。 赤虎と青虎。写真の2組をわたしはこのように呼んでいます。

将棋駒 赤虎こと、大竹竹風作昇龍書赤虎杢
赤虎こと、大竹竹風作昇龍書赤虎杢

いろいろ論評する方もいらっしゃいますが、この大竹竹風師、盛り上げの技術が素晴らしいのです。

また、昨今は木地偏重が過ぎるというご意見もお聞きしますが、やはりこの赤い虎は魅力です。わたしが最初に駒木地に魅了されて購入した記念すべき?駒です。

これを使って磨いて、使って磨く、磨いて使って、磨いて使う。《全部同じでしょ》そして飴色になった駒の輝きと愛着、一級品の将棋駒を使い込む醍醐味です。

さて、この赤虎の書体、「昇龍」といいます。奥野作の錦旗、いわゆる「奥野錦旗」と呼ばれる書体に似ています。

次に青虎。下の写真です。

月山作巻菱湖書です。木地は中国ツゲ。青虎とはわたしが勝手に呼んでいるだけで世の中一般ではそのように呼ぶ人はいないでしょう(笑)

青虎と呼びますが、青というよりは緑なのです。この木地に入っている緑やオレンジの不思議な輝きにはついつい見とれてしまいます。

この木地を使った駒はこれまで二組はあることが分かっていますが、それ以外には見たことがありません。珍しいのではないかと思っていますが、ここにもあるよという方はぜひご投稿願います。

さて、作者の月山師は天童の彫りの名人といわれますが、盛り上げはされないと思います。盛り上げは天童のどなたかでありましょう。細字の巻菱湖はなかなかのものです。
将棋駒 青虎こと、月山作巻菱湖書青虎杢
青虎こと、月山作巻菱湖書青虎杢

2008年9月15日(月)

ロマンチック・シャンチー (Romantic Xiangqi)

久しぶりのコラムですが、またもや駒の話ではありません。次辺り期待してください。(笑)

ところで、わたしは将棋(Shogi)を愛する者であります。将棋はチェス型ゲームの中で一番優れていると信じる者です。ここでチェス型ゲームとはチェス(Chess)、シャンチー(Xiangqi)、将棋(Shogi)、チャンギ(Changgi)、マックルック(Makruk)などのボードゲームを指します。定義など述べる必要はないでしょう。

どなたであれ将棋のことが分かるにつれ、将棋というのは実によくできた知的なゲームであるということが分かります。そして、わたしのようなお調子者はついには、このようなゲームができあがったのは奇跡であるとさえ思うようにもなります。横歩取りのバランスなどはちょっと間違えればデキソコナイのゲームになっていたかもしれませんし、矢倉や美濃囲いの様式美の存在、長手数詰め将棋の美など、将棋には偶然とは思いにくいような美やバランスが埋め込まれているように思います。

つまり、「将棋こそナンバーワンである主義者」であるといえるわたしがこの度、シャンチー(Xiangqi)に目覚めました。そして今では、駒再使用が可能な将棋が一番複雑ゆえ、一番面白いという説には疑問を持ち始めています。チェスには将棋とは異なる別の面白さがありますし、シャンチーも然りです。

ついでにマックルックにも取り組んでみました。ウェブのJava製ソフトには全勝、軽い軽いと本場タイの対戦サイトでタイ人と対戦。相手の強さもタイ語で繰り出されるチャットも何も分かりません。英語で応じるも返事はタイ語。そして勝負の結果は..軽く軽く負かされました。(涙)

シャンチー 中国人ドクターと一戦
中国人ドクターと一戦

さて、世界で最大競技人口を誇るシャンチーがなぜ日本でこれほどマイナーであるか、というよりやっている人はいるのか!?なんていうと、所司和晴先生が出てきて20万人はいますとおっしゃるかもしれません。《そんなにいるわきゃないでしょ》 なぜこれほどダメダメなのか、わたしはそのわけが知りたいのです。

今思っているのは、シャンチーというのは(特に日本人にとって)その面白さの入り口まで到達するのが難しいのではないかということです。そして、宮田曰く「シャンチーはスターウォーズのようなゲーム」です。シャンチーはロマンチックです。(これは論理的に説明できません・笑)

つまり、シャンチーの面白さが分かってきたのです。だからといって棋力が高いというわけじゃございません。(涙)だって始めたのは今年の夏。実戦総数も十数局程度。そして、何の縁だか中国人ドクターとシャンチー戦(写真左)。

このドクター、シャンチーは子供の頃から親しんだのでしょう。指し手が手慣れていました。わたしは粘りに粘り長考に次ぐ長考。ご迷惑をおかけしました。しかし、奇跡的にも勝つことができました。(ま、この辺は自慢話です)


思いつきで直ぐ行動。今回もシャンチーのホームページ(ウェブサイト)を作ろうと考えました。ただし現在の計画では本稼働は1年後くらいです。自分自身でも忘れてしまうぐらい先の話です。(笑) 本稼働の暁には入門者のすべての方が訪れるというようなサイトにしたいと考えています。《確かに考えるのは自由だね》

初心者のわたしですが、シャンチーを覚えてみたいという方には、ルールを説明した後、2局実戦を指すようにしています。そうすると、とにかくシャンチーが指せるという入門が完了します。そして面白さの入り口に手が届きそうな段階になるようです。実戦は素晴らしく効果的なのです。また、そのくらい簡単に覚えることができるゲームなのです。しかし奥が深いというのは将棋と同様です。

宮田(わたし)に、シャンチーを知らないけど興味があるので教えてほしいという方はメールでお便りください。お住まいの場所などの都合でご希望に添える場合と添えない場合があるとは思いますができるだけ実現したいと存じます。またその場合はシャンチー盤駒(ジャンク品ですけど)は持参し差し上げます。(といっても先着数名様という程度です)

実戦できない方でも情報交換などをご希望の方はメールでお便りください。「銘駒シャンチー会」《意味がおかしいよ》とでもして、ゆる〜い会にしたいと思います。会に入ってみても入っているのかいないのか分からないくらいゆる〜い会です。(笑)


シャンチーの盤駒
しかし、今までの経験上、このコラムを見る人がいたとしても、メールをくださる方は皆無でしょう。(笑) それでこそ一安心、言いっぱなしです。

写真右上は、シャンチー盤駒の一例といえます。比較的高級な部類で品質もしっかりしています。確か駒の直径は38mm位であったと思いますが充分な指し心地でした。しかし本場中国では直径75mmくらいの手のひらにようやく収まるくらいの大きな駒を力一杯相手の駒の上に叩き付けてその下の駒を同じ手で引き抜くといった感じで戦います。迫力満点です。さあ、皆さんもシャンチーを覚えませんか!


2007年1月8日(月)

画狂人卍

画狂人卍 (がきょう じん まんじ)。

なんとも気味の悪い名ですが、わたしのネット写真活動における新しい名前です。 これは、わたしが敬愛する「葛飾北斎」晩年の筆名「画狂老人卍」からいただいたものです。画狂老人卍の肉筆作品は大変素晴らしく、駒作りの方などは関係ないようでも、ぜひ学んでいただきたいものです。 ちなみにわたし最近は「フランシス・ベーコン」(Francis Bacon、1909−1992、アイルランド出身の20世紀の画家で著名な哲学者のベーコンの傍系の末裔)という芸術家に夢中です。


ドガの見た新宿

今回は、わたしが撮影した写真の押し売りです。これらは、写真ブログ「歩音」で公開しています。

このブログは作品集ではありません。コンパクトカメラを持ち歩き、1枚10秒程度で立ち止まっての手持ち撮影です。写真日記的な意味合いと写真入門者のわたしの習作集のようなものです。ですから、だからこれが何?っていう写真も多く載せています。

左の写真は「ドガの見た新宿」という題名を付けました。ドガ(Edgar Degas)はフランスの印象派の画家のことです。ドガの絵に感じるものが写真に出せたのでこのように名付けました。

写真家から見た評価はともかく、わたしとしては気に入った一枚です。


右の写真は「競争のダイナミズム」というちょっと大袈裟な題名を付けましたが、井の頭公園で餌を争うカモを撮った写真です。

天候は曇り。夕方も近い時間帯の撮影でシャッタースピードが出せず被写体ブレブレですが、よく見ると静止した瞬間のカモが睨み合っています。被写体が適度にブレることを期待しての撮影でしたが思った通りのブレで水面の色合いも曇り&夕方が幸いした結果となりました。

上の写真は 23mmで左の写真は 28mm(いずれも 35mm判換算)での撮影。カメラはそれぞれ、Kodak EasyShare V705、Canon IXY DIGITAL 900IS でした。ともにコンパクトカメラです。

今は感性のみで絵を切り取っています。今後、カメラの性能とテクニカルな面が充実していくと思いますが.. 天才アラーキー(荒木経惟/あらきのぶよし)がいっています。「写真はフレーミングとアングルがすべて」だと。つまり「切り取り」ですね。撮る人間の「哲学と感性」による「切り取り」がすべてということでしょうね。わたしはそう思っています。


競争のダイナミズム

2006年12月25日(月)

松尾作 菱湖書 彫駒

1ヶ月ぶりのコラムです。コラムを書きたくなるような駒が遠く一宮市からわたしに送られてきました。写真の松尾作菱湖書の彫駒です。梁山泊プロジェクトとの締めくくりである展示会のあと松尾師に作っていただいたものです。

将棋駒 松尾作 菱湖書 彫
松尾作 菱湖書 彫

わたしが入手した木地を松尾師に送って仕上げていただきました。手間賃は不要とのことでお支払いしておりません。つまり無償で作っていただきました。木地の駒形や厚みなどに問題があり、途方もない手間がかかったようです。この場を借りて重ねてお礼申し上げます。

そのようなわけでこの駒は将来的にも人様にお売りすることも差し上げることもありません。生涯わたしが使わせていただく駒です。そしてそのことはわたしにとって最高の楽しみでもあります。

木地は薩摩黄楊縮杢。極め抜いた菱湖に手間暇を惜しまぬ磨きと面取りが施され、完成した駒はまるで陶器のような感触です。駒同士が当たるとカチカチと音がします。

盤に並べると大変気分よく素晴らしい指し味です。カチカチの根杢木地に彫られた奥野作錦旗を手にしたときに感じた雰囲気をこの駒にも感じます。今後永く使い込むことによって「その感じ」が更に深まるに違いまりません。

本作の写真は、12月20日から始めた「写真ブログ歩音」にも別カットを掲載しましたのでぜひご覧ください。

2006年11月27日(月)

奥野錦旗

今回は奥野錦旗(おくのきんき)のお話し。奥野錦旗の美しさに迫ってみたいと思います。しかしその材料は玉将のみ(双玉故)で、更に白黒、シルエットのみの小さな画像。これで美しさがどうのこうのとは..と思われるかもしれませんが..これで十分、本質が見て取れます。

奥野錦旗は数が少なく普通はあまりお目にかかることはできません。わたしは今のところ数組のオリジナル奥野錦旗を見ました(残念ながら写真を含みます)がピンキリというのが正直な感想。そのあまりのレベルの違いに作った方が異なるのではないかと思っています。

右の画像を見てください。これぞ正真正銘奥野錦旗です。この野暮ったく太い書体を実にうまくまとめました。これは天性のもので研究してもダメなんですね。その姿は比較的縦長で足の幅は狭く開きは抑えられており、安定感や力強さという印象ではありません。しかし、佇まいは迷いがなく凛として美しい。

奥野錦旗には現代の写しが数多く存在します(盛上と彫り)が、右の画像タイプは今のところ見たことがありません。不思議ですね。なぜ最も美しいと思えるタイプの奥野錦旗の写しがないのでしょう。

将棋駒 奥野作 錦旗
奥野作 錦旗

見たことがあるよという方がいらっしゃるかもしれません。もちろん大きく見ればみな同じともいえますので、その方はぜひ注意深く比較してみてください。名駒大鑑(めいくたいかん、熊澤良尊著)の147ページにも奥野錦旗のシルエットがあります。お持ちの方は比べて楽しんでみてください。盛り上げや彫りの違いなどという枠を越えて比べてみると面白いと思います。

2006年11月25日(土)

武山作 錦旗 彫駒

ここのところ、写真を撮るということに関する勉強をしています。カメラ(デジカメ)というものにも生涯で初めて深く興味を持ちました。当然の流れとして一眼レフカメラを望むようになったのですが、どうもあれを持って街を行く自分を想像できませんし、その姿は宮田流とはいえません。

それでまぁ、久しぶりのブランニュー、RICHO GR DIGITAL を購入しました。手ぶれ補正機能なし、単焦点レンズ・光学ズームなしのサムライカメラ。バカを承知の任侠道。というわけだったのですがその後、軟弱にも手ぶれ補正機能付きコンパクト・デジカメを追加購入。

将棋駒 武山作 錦旗 彫
武山作 錦旗 彫 (1024x768)

写真の駒は、武山(ぶざん)作 錦旗の彫り駒です。 新しいカメラによる初めての駒撮影です。試しに蛍光灯のみの暗い部屋で ISO800(AWB、露出補正なし)で撮ってみました。いつものようなパソコンによるデジタル処理は一切行っていません。撮ったそのままです。

さて、作品をみてみます。古く状態の悪い駒ですが、彫りの名匠、武山師の逸品。雰囲気ありませんか。この書体(錦旗)も面白い。直線的で曲線的、個性が確立していて魅せるものを持っています。

ある方の話では、現代の彫りの名匠、秀峰師に彫りが上手いのは誰だと聞いたところ。 「武山」とただ一言だったそうです。武山作の彫駒をお持ちの方はぜひとも写真をご投稿ください。お願いいたします。


最後に、もし皆さんが初めてのデジカメ購入をお考えならば、LUMIX DMC-FX07 をお薦めします。手ぶれ補正機能付き、高感度デジカメでシャッターさえ押せばちゃんとした絵が撮れます。日本の技術の粋を組み込んだコンパクトな一品。わたしもほしかったのですが、既に購入した手ぶれ補正機能付きコンパクト・デジカメと完全にかぶるのでやめた次第です。「LUMIX 漆」 ← こんな素敵なカスタムもありますよ。

2006年11月6日(月)

座頭市

座頭市とわたしは切っても切り離せません。

勝新太郎主演の座頭市はほとんど観てきました。この物語の持つ素朴であるも凜とした雰囲気に自然に惹かれたようです。それに何より、わたしは今まで座頭市のように生きてきたのですから..

座頭市 REMASTER」DVDパッケージ 制作:JVD
座頭市 REMASTER」DVDパッケージ 制作:JVD

ご存じのように主人公の市(座頭市)は、盲目の居合達人。一つの顔はあんま、もう一つの顔がやくざ。信仰はお天道様(おてんとうさま)。「お天道様に顔向けできねぇ」のセリフはよく聞きました。

この、市っつぁん(劇中ではこのように呼ばれます)、善良な人間に対しては実に腰が低い。しかし、悪人に対しては容赦なく斬り殺したりしてしまうのです。

モノクロ映画時代の座頭市の劇中、座頭市が村人を命をかけて悪人(やくざ)から助ける中、志村 喬(しむら たかし)扮する村人のリーダーである老学者に「あんた今まで何人殺した」と穏やかに問われ答えられず狼狽える座頭市(勝新太郎)。その場面は今もよく覚えています。

自分が善良な人間でないことは分かっていて、善良な人々を悪人から助ける。悪人から何をいわれようが構わないが、善良な人間からの問いかけに狼狽する市。

わたしの対人姿勢はこの「座頭市の原理」に従ってきたといえます。「善良な人間にはそれ以上に善良に、悪人にはそれ以上に..」の原理です。《だから、時々、やくざになるのね》

これは元々、善良ではない人間に成せる技であり、市っつぁんと同様です。わたしをよい人だという人がいます。その人は善良に違いありません。わたしを悪い人だという人がいます。
その人は..キットわたしと同種でしょう。


わたしはいわゆる変わり者です。それ故、誤解を受けることも多いのですが、ただ、「お天道様に顔向けできねぇ」ことはいたしませんし、できません。これは法律、社会通念や道徳に従うものではありません。そんなものは糞食らえ!《まぁ》 ただ、したくないからしないだけです。きっと、市っつぁんには難しい考えはないでしょうし、わたしにも難しい理屈はありません。心のままに生きています。

大国の噂によると..お天道様は、タオ(Tao)と呼ばれることがあるそうです。

2006年10月13日(金)

隺園書

今日は13日の金曜日。サタンのような書体、隺園書(かくえんしょ)をご紹介するのにピッタリの日。将棋駒の書体としてはギリギリのところ。わたしとしては 無劍、隺園、英朋あたりまでは駒の書体として鑑賞できますが、三田玉枝などは別物、文字遊びの書体とみています。かといってそれらに対し否定的なわけではありません。それもけっこう。

写真(右)の駒は、晃石作隺園書です。

この隺園、行方不明の駒。作ったことは間違いないけど、どこにあるのか分からない。まぼろしの駒と呼んで楽しんでいます。

作品をみますと通常の隺園書と比べてその文字はギュッと詰まっており、コンパクトでバランスに隙のないものとなっています。このアレンジは「影水的アプローチ」の一つといえるのではないかと思います。

将棋駒 晃石作 かく園書
晃石作 隺園書

将棋駒 竹風作 かく園書
竹風作 隺園書

これに対し左の写真は竹風作隺園書。文字をみたいためグレイスケール化したものです。晃石作よりはオリジナル隺園書に近いと思われます。

竹風師には失礼ながら竹風作の文字は参考にならないという口の悪い方もいらっしゃいます。しかし、この隺園書はいいですね。少なくともわたしには大いに参考になります。

隺園流の独特の曲線の魅力に加え直線的な魅力も生きています。これこそ隺園書のお手本ともいえる逸品と存じます。


2006年10月12日(木)

静山の銘

わたしは静山が好きです。 《って告白されても気持ち悪いし..》 ... 静山作の駒が..

先日、北田義之さん(如水師)宅で、わたし所蔵の静山の駒二組(静山は二組しか持っておりません)を肴に楽しく駒談義をさせていただきました。その際、駒自体をお褒めいただいた後に「この(静山作水無瀬書)銘はいいねぇ、写真を載せてくださいね」と、わたしはおだてに乗って今回のコラムとなりました。もっとも北田さんは人が持ってきた駒をけなすことはありません。どうしても褒めるところがないときには、「これは高かったでしょう」とか.. 優しい先生です。

将棋駒 静山作源兵衛清安書の銘
静山作源兵衛清安書の銘
将棋駒 静山作水無瀬書の銘
静山作水無瀬書の銘

確かにこの水無瀬は静山全盛期と思わせる素晴らしい作品と銘です。(北田さんは静山を必ず「静山さん」と呼ばれます。実際に深い交流があったためですが、わたしにとっては遠い偉人であるため尊敬の気持ちを込めて「静山」です)

ついでにもう一つの静山、源兵衛清安書の銘も載せましたが、いかがでしょう。いずれもサラサラっと描かれた感じで味わい深いですね。銘も駒を楽しむ大切なファクターで、実際の作品と銘の関係、他の作品との銘の違いなどを比べるのも楽しいものです。

静山作の銘は、書体によって、制作時期によって異なっているようですが、作品の出来不出来も反映しているようで面白いです。


下の写真は上右の銘の静山作水無瀬書の本体です。この駒の文字が大変気に入っています。ところで、人によって駒のどこをみるかは違っているようで、わたしの場合は、まず全体を絵として捉えます。次に漆(彫り駒の場合はその彫り)、そして駒形、面取り、木地という具合ですが、最初に絵としてみたときに木地は大きな影響を与えているはずですし、駒形や面取りもそのはずですが、一番は文字に着目し、絵としてみているようです。

将棋駒 静山作 水無瀬書
静山作 水無瀬書 (再掲載)

将棋駒 静山作 水無瀬書 (スキャナ画像)
静山作 水無瀬書 (スキャナ画像)

実際に駒制作に関わる方ほど、まずは漆や彫りに注意が行っていて、ときに絵としてみえていないのではないかと疑うことがあります。《これこれ、口が過ぎますぞ。誰のこと?》 一般論、抽象論、宇宙論。《!》 絵画と比較するのは無理があるのは承知していますが、モネ(Claude Monet)の絵をみて絵の具の質やキャンバスの材質を気にとめるでしょうか。《その論理展開には明らかに無理があるね》 確かに駒は道具ですからその材質の評価は最も重要な一つ。彫りや盛り上げの技巧にまず目が行くのは当然。

これを書いていてデジャブー(deja vu)を感じました。この場面とこの感じ、こんなことを書いちゃいけないという感じ。反省するわたし。 《ダメですよ梅水さん》 そのうち削除するかも..しないかも。

2006年10月9日(月)

龍虎鬼精のGUN

今回は駒はお休みでわたしの趣味のGUN(ガン/銃)の世界をほんのちょっと。GUNと駒は類似点が多くあります。道具であるけど美術品という見方もできる。しかし、美術品とみる人は少ない。

GUN誌 2006年4月号
GUN誌 2006年4月号

写真は、わたしの愛読誌GUN4月号の表紙です。表紙に写っているのは、ベレッタ社のM92F後継の次世代拳銃「Px4 Storm」です。《何が何だか..こんなの見せられてもねぇ..》

写真のGUNをデザインしたのは、世界的な天才工業デザイナー、ジョルジェット・ジュージアーロ(Giorgetto GIUGIARO/イタリア)です。

この「ジュージアーロ」はわたしが若いころからの憧れのデザイナーで、自動車のアルファ・ロメオ(ジュリア、スッド、アルフェッタ)、フォルクスワーゲン 初代ゴルフ、いすゞ 117クーペ、カメラのNikon F3、などのデザインで知られます。

ジュージアーロは、デザインする対象のあるべき姿(Concept)を徹底的に研究します。自動車ならば自動車というもののあるべき姿とはと突きつめるわけです。

写真のGUN、Px4 Storm。M92Fはオール金属ですが、Px4はフレームがポリマーで出来ています。《うん?》 GUN誌ではこの Px4 のデザインは今一つインパクトがないとの評。


前作(M9000s)での失敗からベレッタ社とジュージアーロは道具としてのGUNへの歩み寄りを行ったわけです。しかしだからこそ、こなれた道具の美しさを持つはず。この場合のGUNの美しさは、GUNというものを理解していないと分からないかもしれません。

駒の場合も同様で、道具への歩み寄りによって先鋭的な美がいくらか失われる場合があります。手に馴染む面取りを深く施せば、作品としての表現が曇る場合もあるでしょう。これこそ「龍」と「虎」のせめぎ合いです。龍を真に理解する作者が龍を殺し虎を生かしたとする。そのときは、これこそプロの精神というべきでしょう。

わたしが駒をみる目(そして一般に道具をみる目)はジュージアーロに影響されています。龍虎鬼精はジュージアーロの仕事の姿勢であるとも思っています。今回は、ジュージアーロ・デザイン、龍虎鬼精のGUNをご紹介しました。

2006年9月29日(金)

龍虎鬼精の駒

銘駒図鑑を始めてから4年が経ちました。銘駒図鑑のおかげもあり数多くの将棋駒と出会い、その素晴らしさを目の当たりにすることができました。「将棋駒って本当にいいもんですね」《映画評論家か》

今では駒を見る目もかなり成長したのではないかと自負しております。そこでこれまでの成果として、駒を評価する際の要点を考えてみました。結果、「龍虎鬼精」(りゅうこきせい)ということばが浮かんできたのです。

写真の駒は、影水作淇洲書です。以前コラムで一度取り上げましたが、ここで再登板です。数多くの掲載駒からなぜこの駒か。これこそ、龍虎鬼精を満たす駒。「龍虎鬼精の駒」といえる作品です。

かねてより「龍」に..ドラゴンの赤黒く光る目に芸術性を感じ、レッド・ドラゴンということばを生み出しました。「鬼」に戦う道具としての強さ、迫力、作り手の気迫を。「精」に精緻を極める技を。そしてこの「龍鬼精」に道具としての完成度、実用の美を表す一字を加えたいと考えておりました。

それが「虎」です。なぜそれが虎か、ゴロがいいから?いや、虎の姿に実用の美が重なって見えました。架空の存在「龍」ではなく、実在の美しい存在「虎」がそのイメージに一致しました。

龍虎鬼精 (りゅうこきせい)の..駒。

将棋駒 宮松影水作 淇州書 - 龍虎鬼精の駒
宮松影水作 淇州書 - 龍虎鬼精の駒

 


改めて写真の駒をご覧ください。

淇洲オリジナルからの本歌取りの書体・盛り上げ。独創性と美しさ、龍が棲む駒。そして、研究された駒形、面取りが手に馴染み、虎の姿が見えます。 作り手の情熱が、当時としては画期的、先鋭的なデザイン、盛り上げを作り出したのでしょう。鬼の強さをも併せ持っています。

 

この当時、このように精度の高い駒作りは行われておらず、影水が始めたのではないでしょうか。味わいと迫力、勢いの時代の中、考え抜かれたデザインの延長に施された精度の高い盛り上げ。駒の「精」が眩しくも新しくこの時代に芽を出したのです。

現代駒は影水の遺産の上に築かれてきています。その流れの理想が「龍虎鬼精」であり、だからといって、これ以外の道がないわけではないでしょう。

もしかしたらそのもう一つの道こそが、真の芸術的駒作りの道なのかもしれません。道具を極めるならば「龍虎鬼精」の道。写真の駒を深く学び理解いただきたいものです。

2006年9月16日(土)

細字の鵞堂 = 陽炎の駒

今回は晃石師代表三部作の最後、鵞堂書をとり上げます。本作、木地の柾目が陽炎(かげろう)のように揺れていますので陽炎杢と呼んでいます。この意欲的な作品を後ろから支え芸術性を際立たせています。

将棋駒 荒川晃石作 鵞堂書 陽炎杢
荒川晃石作 鵞堂書 陽炎杢

ところで、鵞堂という駒に馴染んでない方には一目見ただけでは普通の鵞堂とどこが違うのか分からないのではないでしょうか。ある駒師の方は一目見て「影水ですか」と..

影水とてここまで精密かつ繊細ではありません。また、影水の鵞堂とは全く異なる方向性の作品です。(大きめの画像を用意しましたのでじっくりご覧ください)

源兵衛清安(雷神の駒)とは違って、刺々しさ、激しさの少ない、穏やかで繊細な作品です。駒としての力強さが足りないとの見方もあるでしょう。ただし、意欲的であるためか、わたしはこの作品に内なる激しさを感じます。

デザイン的には大変練られており、全体を通じて美しい整合性をみせています。


ところで、鵞堂といえば飛車の飛の腕が折れているのが定番ですが、本作では龍の腕のスムーズな楕円に合わせるかのように折れることなくスムーズな円弧を描いています。そもそも王(玉)の雰囲気が全く異なり、わたしから見ると全体的にクラシック鵞堂とは別物のようです。その他多くのアイデアを含んでいるのですが、龍山、影水などの鵞堂と比べ楽しんでみてください。

2006年9月15日(金)

鬼が棲む駒 = 雷神の駒

前回に引き続き、荒川晃石作品です。今回は源兵衛清安書。この駒、実物が大迫力です。まさに「鬼が棲む駒」、鬼気迫るものを感じさせます。雷神杢(らいじんもく)というのは、この木地の杢から暗雲立ちこめ雷が轟く中に雷神が降り立ったような印象、そしてさらにこの源兵衛清安の盛り上げからは鬼の迫力を感じます。それ故この木地、雷神杢なわけです。この様な木地の命名は滅多にするものではありません。今のところ晃石ギャラリーの三作品に限られます。

今回、晃石ギャラリーと銘駒コラムで荒川晃石作品をご紹介していますが、皆さんは荒川晃石にお気づきでしたか?

現代駒作家の中で児玉龍兒と共にわたしを最も刺激する作家です。簡単にいってしまえば荒川晃石ファンということです。《やれやれ》 児玉さんが聞いたらアマチュアと一緒にするなと怒りそうですが、わたしは肩書きで駒を観ません。権威というものにも興味がありません。

わたし、物故者の作品を目にし感動したとき思わずよぎる言葉が「真贋問わず」。もちろん経済的価値も配慮するわけではありますが、これだけの作品なら真贋を問わず評価いたしますの心です。

将棋駒 荒川晃石作 源兵衛清安書 雷神杢
荒川晃石作 源兵衛清安書 雷神杢

 

将棋駒 児玉龍兒作 源兵衛清安書 第43期 王位戦第4局使用駒
児玉龍兒作 源兵衛清安書 第43期 王位戦第4局使用駒


さて、写真(左)の駒は、児玉龍兒作 源兵衛清安書 (第43期 王位戦第4局使用駒 - 王位 羽生善治 VS 挑戦者 谷川浩司)です。

前に一度、コラムで取り上げていますが、素晴らしい作品。龍山からの本歌取りで「成立した独創性」を持ちます。この駒を初めて見たときから「現代源兵衛清安」の代表作の一つに違いないと思い続けています。

そして、今回の荒川晃石作源兵衛清安書は、児玉龍兒師の源兵衛清安と共に現代源兵衛清安の双璧を成す作品とわたしは思っています。

影水の写しも静山の写しも技量の高い駒師によれば、大変魅力的な駒ができ上がります。しかし、それは写しであって本歌取りのレベルではなく、別物です。


誤解しないでいただきたいのは、わたしには写しが悪いなどという考えはまったくありません。優れた写しは大いに好み、わくわくさせられます。ただ単にぞれが本歌取りとは別物であるというだけのことです。また、優れた本歌取りよりも道具としてそれよりも遙かに優れた写しが存在するとも考えています。これは当然なことで駒の世界も多様な見方が必要に違いありません。

ところで、晃石師は誤解を恐れない人。「錦旗は嫌い」などと平気でいいます。横にいた仲間は「三田玉枝じゃなきゃダメなんでしょ」と..しかし、本当は錦旗が嫌いなわけじゃないようです。今はまだ錦旗の優れた本歌取りが浮かばないのです。錦旗で尖った本歌取りが難しいのがそういわせる本当の理由のようです。いつの日か、あっと驚く錦旗を開発してくれることでしょう。わたしは楽しみに待たせていただきます。

2006年9月14日(木)

龍が棲む駒 = 緑龍の駒

久しぶりのコラム。今回は晃石作英朋書(こうせきさく えいほうしょ)をご紹介します。

緑がかった大振りの木地に英朋を基に大胆にアレンジした書が漆で精密に盛り上げられています。さて、この駒を皆さんどのようにご覧になるでしょうか。この駒は今までそれほど注目をされることもなかったのではないでしょうか。わたしは大いに注目しました。わたしは現代将棋駒の最高峰の一つと考えます。ここで「現代駒」とは静山師亡き後(1991年以降)の作品群を指します。《いいすぎでしょう梅水さん》

将棋駒 荒川晃石作 英朋書 緑龍杢 写真 1
荒川晃石作 英朋書 緑龍杢 写真 1

将棋駒とは道具なのかそれとも..という議論がありましたが、この答えは「やきもの」の世界を考えてみると容易に出てきます。やきものとは道具か否か。この様な問いは今や無意味でしょう。やきものとはときに最高の芸術であり、ときに大衆向けの美術品であり、ときにはまったくもって単なる道具であり芸術性・美術性のかけらもない。常識として多様性が認知されています。

駒の世界が成熟したならばやきものと同様でしょう。 ただ、果たして成熟する時代が来るのでしょうか。やきものほどのメインストリームとなり得るでしょうか。おそらく、やきものほどの世界とはなり得ないでしょう。しかし、いずれにせよ現時点においても個々人において多様性を受け入れることは許されることでしょう。それでも、わたしからみると駒の世界では芸術・美術性を追求した駒の存在は極めて稀です。


本作はその極めて希な駒。芸術には独創性が命です。独創性があれば何でもよいか。「成立した独創性」が必要です。片や駒というのは道具としての魅力に満ちあふれた存在であるはずです。しかし、本作は道具としての魅力を追求していません。作者に初めからその様な動機はないからです。

誰かに将棋駒として長く使ってもらい、優れた道具からの満足を得させてあげよう。その様な目的ではないのです。あくまでも自分のため、自己実現のために作ったはずです。しかしだからこそ、妥協のない美の完成を目指した作品なのです。この様な駒は注文されれば作れるというものではありません。作者は二度と作らない可能性もあるでしょう。その様な性格の駒なのです。

本作は道具として評価するべきではないでしょう。あるいは道具として以外の評価の存在を尊重するだけでもよいのですが..

さて本作を眺めてみましょう。 自然光の中で見ると全体が緑がかってとても神秘的です。御蔵島の自然が産んだこの神秘的な木地と自分にとっての英朋の一つの美の完成を目指した作者が出会い、この世に唯一無二のこの作品が生まれたのだといえます。

初めて見たときからこの駒には「龍が棲む」と感じています。この駒の絵と雰囲気からそう思うのですが、龍とは芸術ってことかと、今、感じた次第です。

最後に一つ、面白いことに、美の追究が完成した晃石作の駒には、ダビンチ・コードならぬ「晃石コード」が記されています。

将棋駒 荒川晃石作 英朋書 緑龍杢 写真 2
荒川晃石作 英朋書 緑龍杢 写真 2

2005年2月17日(金)

松尾作 菱湖書 十番

梁山泊プロジェクトの作品は現在、20番(第20作)までが完成し、21番と22番が制作中とのことです。それらの中、一番と十番は非売品となりました。一番はプロジェクトの記念として梁山泊が所蔵されるとのことです。十番は銘駒図鑑にお譲りいただきました。

梁山泊プロジェクトは「梁山泊影水菱湖」(梁山泊所蔵の影水作菱湖書盛上駒)の彫駒による写しがそのスタートでしたが、現在では豊島作清安書、影水作水無瀬書、錦旗書、淇洲書などの写しに発展しています。

将棋駒 松尾作 菱湖書 十番 写真 1
松尾作 菱湖書 十番 写真 1

写真の駒は、松尾作 菱湖書 赤柾です。樹脂分が強く、見る角度で赤くまた白く移り変わります。本作も素晴らしい面取りです。駒自体が使われることを待ち望んでいるようです。

本作十番は今回の菱湖シリーズの中で、梁山泊影水菱湖の写しとして最も優れているかといえば、わたしはそうは思っておりません。今回のプロジェクト中の十番以外の菱湖によく写されたよい作品があるように思っています。

わたしが十番をお願いしましたのは、十番ということでこなれたためか多少の疲れのためか、力が抜け自由にいきいきと彫られたこの作品が気に入ったためです。また、少し行きすぎた表現も目に付きましたが、本作は影水の写しにとどまらず、松尾師の個性が最も発揮された作品と感じたためでもありました。



松尾師による今回のような仕事はこれが最後かもしれません。この仕事に敬意を表しまた、本作十番をわたしにとっての松尾師の記念にさせていただきます。そして末永く実際に使用させていただくつもりです。

わたしのフライングはこの十番一組に限られます。販売開始の際には皆様と一緒に参加したいと考えています。同じ駒への希望者が多数の場合はおそらく抽選になることでしょう。

わたしからのアドバイスは、実際にご覧になって納得して選ばれることです。梁山泊の展示会開催の際には、ご都合がつくならば参加されることをお勧めします。

将棋駒 松尾作 菱湖書 十番 写真 1
松尾作 菱湖書 十番 写真 2

2006年1月27日(金)

作り手の感性は錦旗をみればわかる

「作り手の感性は錦旗をみればわかる」 コラムで初めてとなる長いタイトルです。ここでの作り手とはプロまたはアマチュアの駒師の方のことです。今回は作り手の感性と作品との関係を考察します。

わたしは作り手の作品の基本四書体(錦旗、水無瀬、巻菱湖、(源兵衛)清安)をみることができればその作り手の感性を知ることが可能と思っています。一つだけで判断しろといわれれば錦旗を求めます。作品は特殊な書体であればあるほど作り手の感性を見極めるのは難しく、このことにより感性に優れない作り手は特殊な書体に力を発揮する場合があるということもできます。

作品を評価するポイントとしては盛上駒の場合、文字の基本デザイン、 実現した漆文字の美しさ、盛上の完成度、木地のレベル、木地の揃い、木地の重さ、木地の硬さ、駒形、面取り、磨き、その結果としての打ち味など多岐にわたりますが、一定の技量レベルを超えれば後は「作り手の感性」が重要になります。それどころか最高峰の駒作りを考えれば全てが作り手の感性に左右されるといっても過言ではないでしょう。

しかし一方、駒は道具でありますから使うことに主眼を置けば、特に彫駒などの場合、感性云々以前に駒の重さ、堅さ、駒形、面取り、磨きなどに優れた駒は理屈抜きに我々を惹き付けるのも事実です。

写真(右)は、その感性ということでは定評の高い影水による錦旗書 盛上駒です。影水は18歳で駒作りを初め43歳で亡くなるまでの間にいろんな錦旗を作ったことでしょう。写真の錦旗は影水による最終形といえる作品です。この作品を理解することで影水の優れた感性とともにその限界をも知ることができます。

写真の錦旗がデザインに優れることは直ぐに理解できますが、この錦旗が初期龍山の錦旗よりも優れているとはわたしには思えません。

影水の最終形錦旗は字母紙に向いています。この字母紙を用いれば作り手は自らの感性に頼らずそれなりに立派な作品ができることでしょう。これはどういうことでしょうか。


将棋駒 影水作 錦旗書
影水作 錦旗書


わたしは影水の作品の高い「デザイン性」がその理由だと思っています。影水の残した財産はそれを真似ることで感性不要の駒作りを可能にしたわけです。 これこそが多くの駒師(特にアマチュア)が影水字母紙を採用する理由と思います。プロの駒師の方の多くは影水字母紙からの自立を目指します。遠巻きに眺め最初から近づかない方、最初は採用し、徐々に離れていこうとする方、色々です。

さて、タイトルの「作り手の感性は錦旗をみればわかる」ですが、なぜ錦旗か。現在、水無瀬と巻菱湖は影水デザイン(字母紙)が圧倒的シェアを誇っています。源兵衛清安は静山。水無瀬、巻菱湖、源兵衛清安、これらにに比べますと錦旗の決定版デザイン(字母紙)がありません。また、錦旗は字母紙を決めても(固定しても)結果が最も定まらない書体であるように思います。そのようなことから「錦旗をみればわかる」がわたしの合い言葉となっているのです。

2006年1月9日(月)

菱湖

菱湖(りょうこ)は巻菱湖(まきりょうこ)と共にとても人気のある書体です。菱湖にこだわりを持つ駒ファンの方も多いことでしょう。今回は菱湖について少しだけ書かせていただきます。(菱湖と巻菱湖の違いについてはここでは割愛します)

先ほど深夜の風呂に浸かりながら、「駒の詩 -名駒の散歩道-」(増山雅人著)の第一回、鶴巻温泉 陣屋の静山菱湖の巻を読んでいました。そこにある静山菱湖の写真を見ながらこの菱湖を超える菱湖があるのだろうかなどと思いふけっておりました。それほど素晴らしい。ぜひ近いうちに陣屋に宿泊し、その静山菱湖とじっくり対峙したいと思います。(その結果は銘駒図鑑で報告します)

将棋駒 影水作 菱湖書
影水作 菱湖書 (所蔵: 梁山泊)

一方、ちまたにはどうしようもないような静山駒がゴロゴロしています。(失礼) おそらく世間様はそのゴロゴロを見る目と同じような目で陣屋の静山菱湖も見てしまうのではないかと心配です。

駒はそれぞれ内容が大切。作者の名前だけで判断しないことが肝要です。静山師は素晴らしい仕事を残しています。 わたしもまだ見ぬ素晴らしい静山駒に出会うべく今後共努めたいと思います。

写真(左)の駒は、影水作 菱湖書です。素晴らしいですね。絶品です。これほどの影水菱湖には滅多にお目にかかれないでしょう。しかし不思議なことにこの雰囲気を持つ影水菱湖はこの駒以外にあまり見ません。幹太郎の代表的特徴からは離れているようにわたしは感じます。


実見しておりませんが、最も幹太郎の特徴が発揮されている菱湖は故升田幸三第四代実力制名人愛用の菱湖ではないかと思います。「関西の名人駒」の菱湖よりもです。これはどちらがよい悪いということではありません。「影水」ではなく「幹太郎」と表現するのは、「影水作=幹太郎本人の作」ではないからです。「数次郎」という表現も同じ意味で用いています。このようなことには銘駒図鑑では触れないつもりでいましたが、踏み込んで行くと避けては通れないようです。

銘駒図鑑では調査や事実確認に基づかないこともわたしの現在の感性で書いていますので、将来大きく訂正しなければならないことを含むかもしれません。悪意はありませんのでご了承ください。

2006年1月4日(水)

金井静山

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今回は金井静山(かない せいざん)と題し、わたしが所蔵する2組の静山作盛上駒をご紹介します。2組共どちらも漆も減っている中古駒です。

ちょっと過激な発言になりますが、静山駒にはできの悪いものが数多くあるようで実際よく目にします。わたしは金井静山は歴史上最高の工人であると考えています。しかし、高齢に至るまで駒作りを続け、その様なことによるのか作品に対する執着が少ないのではないかと思われる駒も散見し、さらに過去に某所から数多くの贋作が排出されたとの話も伝えられています。また、木地を自分で作っていなかったということからか駒形に合わない奇妙な作品に出会うこともあります。このようなことからか、影水などに比べ静山の評価はその価格など低すぎる状況に至っているようです。

しかし、金井静山、素晴らしき名工。素晴らしい作品を残しています。だからこそ、駒師、駒マニア、駒ファンに深く愛されています。影水駒は値段が高く、それに比べ静山駒は常に安いというのではなく、影水駒よりも高価な静山駒があって然るべきはずです。駒のできをよく見極めてイケてる静山駒という宝探しをするのも駒ファンの醍醐味ですね。

さて、写真(右)の駒は、静山作 水無瀬書です。実はこの駒、雅峰作 水無瀬書の本歌です。平田雅峰師が作る水無瀬(の一部)は本作を基にされています。

今回の
写真では分かりにくいかもしれませんが、わたしはこの駒の文字の美しさに一番惹かれました。文字のできは静山の水無瀬では最高の一つではないかと思います。そしてさらに全ての水無瀬の中でも最高の一つではないかとさえ、わたしは考えています。それ故手に入れました。

現代では水無瀬といえば、影水を本歌とする駒がほとんどですが、静山水無瀬も見直していただきたいものです。ただ残念なことにできのよい駒が実に少ないです。静山駒をお求めの方は探せば必ずよいものが見つかるはずですので、慌てず急がずじっくり探すことをお勧めします。そして状態よりもでき映え優先がよいと思うのですがいかがでしょう。

将棋駒 静山作 水無瀬書
静山作 水無瀬書


将棋駒 静山作 源兵衛清安書
静山作 源兵衛清安書

写真(左)の駒は、静山作 源兵衛清安書です。静山駒としては格別珍しいものではありませんが、静山の魅力を楽しめる逸品です。皆様ご存じの通り、水無瀬とは逆に源兵衛清安(または清安)は、影水ではなく静山を本歌とする駒が多いですね。影水清安が多くの支持を得られなかったということでしょうか。

話は変わりますが、やきものの世界には「一井戸 二楽 三唐津」(いちいど、にらく、さんからつ)という言葉があります。初めは分からない井戸の美しさが最後にはやはり井戸が最高ということになる。そこで同じように駒の世界を考えますと「一豊島 二静山 三影水」ではないかと思うのですがいかがでしょう。《奧野や木村はどうなるの》しっ!《なんで龍山じゃなく豊島な..》

「一豊島 二静山 三影水」

これ、なかなか納得できないでしょうね。


ところで、最近オークションに影水や静山などの駒が出品されることも多くなりました。わたしも何度か入札したことがありますし、落札した経験もあります。オークションを見ていることもよくあるのですが、過去に影水作で明らかにおかしく贋物と思われる駒や断定はできないが手を出さない方がよいと思われる駒がありました。それらは高額で落札されたようです。また、静山作で興味のある駒がオークションに出ましたが、静山の特徴の一部が見あたらないことや写真が小さいため判断を妨げられ入札を見送ったこともありました。珍しいタイプなので手にしてよく見たかったのですが、手にしたとたんに贋物と分かるのでは悲しすぎます。

この様な心配もあるのですが、それでも駒は贋物が少ない分野です。骨董品の掛け軸の分野などは市場に出回っている9割は贋物であるという専門家の見解もあります。わたしは掛け軸の真贋の判断はできませんが、ある分野で贋作ばかりをオークションに出している業者を見つけました。結構その様な業者はいくつもあるようです。お互いオークションには気をつけましょう。

(静山、影水など敬称を略しました。そもそもが偉人故、今後断りなく略す場合が多いと思います)


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