「銘駒コラム」はわたくし梅水の将棋の駒と将棋、その他諸々に関するコラム(不定期な日記というべきかもしれません)を掲載するコーナーです。掲載は不定期で思いつくまま都合のつくまま書かせていただこうと思います

また、「銘駒図鑑」の更新情報、お知らせ、今後の方針、スケジュール、その他ニュース、トピックスなども書かせていただきたいと思います

ここで述べますことは駒に関することもその他のことも全く個人的な意見です。読まれたとき気分が悪くなるようなことがありましたら、読むのを止めてください
 

悪意はなくとも自分と異なる意見には気分が悪くなる場合もあることと思います。これは、気楽に思いついたことを書くためのあらかじめのいい訳といえます

思いついたことの中には、政治、宗教、哲学に関わる事柄もあるかもしれません(あるかなぁ)

ご感想、ご意見、ご批判はメールでいただきます。ご返事は必ずできるとは限りません。非常にわがまま勝手な企画です。お許しください。《これからも駒写真を頑張るなら許してあげるよ》 : 天の声

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2005年12月29日(金)

初期龍山

初期龍山(しょきりゅうざん)。今から 80年以上前に龍山により作られた小振りの古駒です。

初期龍山という言葉は聞いたことがありませんでしたが勝手に使い始めました。ただしこの言葉、豊島太郎吉(初代龍山)がその駒作りの本当の初期に作った駒という意味では用いておりません。《えっ、じゃぁ、初期じゃないじゃん》この点はまたの機会に譲ります。 初期龍山、思いますに、このような駒こそマニアが注目すべき駒、理解すべき駒、駒師の方が所蔵し感性を養うべき駒なのではないでしょうか。

さて写真(右)の駒、初期龍山の錦旗(きんき)です。

わたしが所蔵する駒の中で最も好きな駒の一つです。この小さくみすぼらしくもある駒がわたしの心を最も癒し、また最も動かします。

また、この駒はわたしに本歌というものが如何なるものかを考えさせました。「本歌・初期龍山の錦旗」この駒の写しを作るのは難しそうです。なぜならこの駒は本歌であるが故の魅力に溢れているからです。

ところで、極真会館を創設した伝説の空手家、大山倍達(ますたつ)が生涯唯一の負けを喫した相手は、太極拳を操る小さな老人。何人の批判も受け付け得ない絶品の影水駒が大山倍達とすれば、この初期龍山は倍達をも破る小さな老人。

将棋駒 龍山作 錦旗
龍山作 錦旗


将棋駒 龍山作 小野書
龍山作 小野書

写真(左)の駒はやはり初期龍山、小野書(おのしょ)です。この駒も当然ながら小さな駒です。

この駒は使用されておりません。経年による擦れ、当たり傷などがありますが未使用です。

和紙に包まれたまま米国に渡り、将棋とは無縁の方が古美術品と交換して手に入れられた後、永きに渡り所蔵されていたものです。縁あってわたしの元にやって来ました。

米国に電話をしたとき、現地在住の奥様が英語で出られたのでわたしも英語で応対し、その後直ぐに日本人同士であることが分かってホットしたことを思い出します。

さて、本作、雰囲気が素晴らしい。いわゆる線の細い作品で作風も繊細です。しかし現代のどの鵞堂(がどう)にも見られないほど奔放な作品です。作者の才能を感じさせる逸品。絵になる駒です。


2005年12月25日(日)

本歌・本歌取り・写し

2004年12月17日(土)のコラムで「本歌駒と写し駒」と題したコラムを掲載しました。そのコラムを評価するとの複数のご連絡などもいただきましたが再度見直しを行った結果、今回その改訂版を掲載し改訂前のコラムは削除することにしました。以下改訂版:

2005年12月15日(木)のコラム「豊島作 清安書 = レッド・ドラゴン」で本歌(ほんか)という言葉を使いました。何気なく使ってしまいましたが、現代の駒世界への重要な問いかけがあることに気づき、改めてコラムで取り上げることにしました。本歌という言葉は現在では古美術の世界で用いられる用語で、さらにその語源は和歌でそのもととなる歌を意味しますがが、これが転じて写しではないオリジナル作品を指して使われます。


銘駒図鑑では古美術の用語に習い、オリジナルの作品を「本歌」または「本歌駒」と呼び、本歌を真似て作られた作品を「写し」または「写し駒」と呼ぶことにします。

ならば、オリジナルであればでたらめな作品であっても本歌と呼べるのでしょうか。少なくとも銘駒図鑑ではオリジナルであり、さらに駒としての魅力を発するもののみを本歌の名で讃えます。

常に、本歌はよいもの、写しは悪いものということはなく、そのオリジナリティ(Originality)に着目して用います。本歌と呼べるものの中にも比較的につまらないものがあるかもしれませんし、写しと呼ばれても、素晴らしい仕事により絶品と評されるものもありましょう。現在、本歌を目指した多くの作品が存在しますが、影水の写し駒の優れた作品には全く刃が立たない状況ではないでしょうか。



駒の場合、本歌と写しの判断に関する問題があります。例えば、影水の仕事は本歌なのでしょうか。古美術の世界なら「独創性を加味した素晴らしい写し」と評するかもしれません。一方、和歌の世界には「本歌取り」という言葉ががありますが、これはもとの歌(本歌)を踏まえてそれを土台に新たに自分の創造世界を作る手段を指します。この言葉を使えば影水の仕事(デザイン)の最終形はまさに「本歌取り」といえるのではないでしょうか。そこで銘駒図鑑ではこのような駒を「本歌取り」または「本歌取り(の)駒」と呼ぶことにします。

つまり本歌をもとにしたとしても独創性に満ちていれば写しとは呼ばず、本歌取りと呼びましょうという提案です。本歌(字母紙)をもとに自分が気に入るように調整した程度の場合は写しと呼ぶべきでしょう。また、影水を本歌取りと位置づけましたが、影水駒の写し駒から見るとその場合の影水駒はその写しの本歌と呼んでも差し支えないでしょう。本歌取りの駒もその美や優秀性が評価され多くの写しの本歌と見られればいつの間にか本歌の風格を帯び、それは皆に本歌と呼ばれるようになるのかもしれません。

さて、本歌(または本歌取り)を目指すか!優れた写しを目指すか!それが問題です。芸術作品としてみるならば問答無用、本歌最優先に決まっています。しかし、駒は工芸品であり実用品、道具でありますから、ヘタな本歌より完成された本歌(字母紙)の優れた写しが好まれる傾向であろうと思います。わたしの個人的な趣味とご理解いただいて結構ですが、本歌や本歌取りへの挑戦を最大限評価し応援したいです。ただし、伝統の書体の美を深く理解すればするほど本歌や本歌取りへの挑戦は容易ではなくなるはずです。その様な苦境を乗り越えて開発された作品こそ本歌(または本歌取り)と呼ぶに相応しい駒となりましょう。

次回のコラムは「初期龍山」を予定します。

2004年12月22日(木)

やって来たドラゴン

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将棋駒 影水作 金龍書 彫埋

影水作 金龍書 彫埋

写真は影水作 金龍書の彫埋です。わたし、金龍にはよほど縁があるようです。どのようにやって来たかは割愛しますが、面白いやりとりの末にわたしの手元に落ち着きました。今まで影水の彫埋駒は沢山見てきましたが、ほしいと思ったのはこの駒だけでした。

何に惹かれたか。本作、派手な木地が目立ちますがそれではありません。「影水デザイン」という仕事の「心」がこれほどハッキリ確認できる作品は他に見たことがなく、これは手元に必要と考えたからでした。

彫埋であるが故、盛上とは違い彫の輪郭(Outline)が正確に見て取れます。それは彫駒よりもさらにストレートに伝えてくれます。字母紙作成にはもってこいですね。

写真では遠くに写ってしまいましたが特に、角、馬、金、銀、成香をよく見てください。いやはや美しいですねぇ。


昨今は影水の写し駒に取り組む駒師の方が非常に多く、ピンピンとした筆入りの処理にばかり熱心な作品がよく目につきます。わたしが思いますに、実はそういった局所的・機械的な味つけがが影水駒の本質ではないのです。上の写真の彫埋は鋭い筆入りではあるものの、全体の雰囲気の中でそれほど目立ちません。

ではその本質とは何か。デザインそのもの。文字のデザインそのものが「影水」です。そのデザインの美しさ、素晴らしさをストレートに堪能させてくれるのが今回の彫埋駒です。

右の写真は過去のコラム「やって来たドラゴン機廚之悩楮僂留匿綺 金龍書の彫です。ここに再度掲載します。

この駒、おそらくは道場駒として作られたものでした。 今回の彫埋駒(多分特注品)とは違い精密さは損なわれています。しかしながらそれ故に「影水デザイン」の本質が強く現れています。それに気づく方は実に少ないのですよね。

やって来たドラゴン機廚龍
将棋駒 影水作 金龍書 彫

影水作 金龍書 彫

彫埋の銘と彫の銘を比較
将棋駒 影水作 金龍書 銘
左: 影水作 金龍書 彫埋 / 右: 影水作 金龍書 彫

左の写真で、2つの駒の銘を比べました。

影水の「影」の一部が少し異なりますが、時期の違いを考えますと、ほぼ同一銘の範囲ではないでしょうか。彫埋の銘は斜めから見ますと細い彫りが写りますが、それは彫駒の銘に更に近づきます。

今回のこの2つの駒を比較しますと、共通の感性が見て取れます。《そりゃあ字母紙が同じだしね》そうじゃないのです。彫駒の方にむしろ影水の持っている感性を強く強く感じます。その感性をデザイン化し完成させ精度を高めたものが今回の彫埋駒となっているように思います。

上の写真の彫駒を見てわたしほど評価する方は少ないのですよね。彫埋めの方は評価が高いのです。目の前の駒の本質部分を抽象的に抜き取って、それを比較すれば分かるはずですが...どうもこれ..難しいのでしょうか。

彫埋駒のレッド・ドラゴンのご紹介でした。


2005年12月15日(木)

豊島作 清安書 = レッド・ドラゴン

久しぶりのコラムです。今回からレッド・ドラゴン(Red Dragon)を4組ほど、その後、プラチナ・ドラゴン(Platinum Dragon)を3組ほどご紹介する予定です。お楽しみに!(何をいっているのか分からないという方は2つ前のコラムをご参照ください)

さて、写真の駒は豊島作 清安書(とよしまさく きよやすしょ)。素晴らしいですね。えっ、何が素晴らしいのかって。そうなんですよね、この素晴らしさに気がつかない方もいらっしゃることでしょう。そんな方はこの写真を毎日2時間眺めてください。ふざけるなって、ごめんなさい。現代の駒師の方が作るのは大体は静山か影水タイプですね。このタイプはあまり見ません。こんなに美しいのにねぇ。


わたし、最近は初期龍山の錦旗などに安らぎを感じるのですが、それに比べるとこの清安は尖っています。突っ張ってます。そして動(どう)を感じます。

こんなに美しく、こんなに真似しやすそうな駒です。駒師の方にはぜひ作ってもらいたいものです。ある駒師の方曰く「しっかし雑な作りですねぇ〜。でも文字の出来映えは、それをも吹っ飛ばすほどのいい味がありますね。なんとも面白い駒です。こういう駒を見ると、創作意欲がムクムクと・・・」ですって。分かるもんなんだなぁ、と心でわたし。全く同感です。

まず金を見て理解できたら、直ぐに本丸、王将と玉将。この空間美を捉えてください。

この駒は本歌(オリジナル)です。実際に本歌としての風格を発しています。そこにこそ価値があるのです。

将棋駒 豊島作 清安書
豊島作 清安書 (所蔵:梁山泊)


この駒を理解し本歌を所有できる人間はこの世にせいぜい数人かもしれません。しかし、この駒をこれから理解することはすべての方に可能です。そしてこの駒、レッド・ドラゴンが現代の優れた駒師によってプラチナ・ドラゴンとして蘇ることを祈ります。

2004年12月2日(木)

プラチナ・ドラゴン (Platinum Dragon)

2003年3月31日のコラムでレッド・ドラゴンを図で示しました。 2004年の今日、プラチナ・ドラゴンを加えた図をご紹介します。 図の下にある説明は「銘駒便り」に掲載した説明をほぼそのまま再掲載したものです。 皆様がドラゴンを見つける冒険の旅(Dragon Quest)に出かけるときにはこれらの名前をお忘れなく。


レッド・ドラゴン(Red Dragon)とプラチナ・ドラゴン(Platinum Dragon)

銘駒図鑑では名駒をドラゴン(Dragon)、超名駒をレッド・ドラゴン(Red Dragon)と呼んでいます。なぜレッド・ドラゴンと呼ぶのか。それは、素晴らしい木地に素晴らしい漆、使い込むことによって赤みがかった飴色になり、指す者の手によって盤の上を舞う姿がレッド・ドラゴンをイメージさせます。そしてレッド・ドラゴンの赤く光る眼の中には芸術性が映し出されます。このイメージがわたしに超名駒をレッド・ドラゴンと呼ばせます。そして振り返ってみると銘駒コラムにて最初にこのように定義したのでした。使い込まれたことを前提にしていました。「使われてこそ名駒」この言葉の重さを感じます。しかしながら使われなかった駒があるからこそ今も完全な仕事(漆)を見ることができるわけです。そのような未使用または未使用に近い名駒・超名駒をプラチナ・ドラゴンと呼ぶことにしました。プラチナのように完全な美しさを保有する駒を称える呼び名です。レッド・ドラゴンと比べどちらが上か下かということではありません。プラチナ・ドラゴンは名駒から超名駒までの未使用駒(または近いもの)を指すためレッド・ドラゴンよりは少し幅広くなり、この呼び名はよく現れることになるかもしれません。

2004年11月2日(火)

天才 数次郎

二代目 豊島龍山(とよしま りゅうざん)、本名 数次郎(かずじろう) 1904-1940、36歳で病死。43歳という若さで夭逝した宮松影水を凌ぐ若さで亡くなりました。 そしてその駒作りにおいても影水を凌ぐ天才でした。 この清定が今もそれを証明します。 (横浜市岩崎様所蔵のこの清定については盛上駒図鑑にてさらに写真を加え詳しくご覧いただく予定です)

写真の駒、清定には感動しました。 見れば見るほどその凄さに圧倒されるばかりです。 まずはその駒字の素晴らしさ。

清定という書体は今までどうしても納得できませんでした。 この駒を見て全て納得です。 駒字だけで強い芸術性を放っています。 さらにその仕事の素晴らしいこと。

王と玉もそうですが、金を4枚並べても全てが同じではありません。技量の低い作者の場合図らずも不揃いとなりますが、この作品の場合は意図的な不揃いとしか思えません。 それら全てをまとめてこの清定の素晴らしさなのです。

この作品こそ数次郎の天才を証明する代表作の一つではないでしょうか。 レッド・ドラゴンと呼ぶに相応しい駒です。

将棋駒 豊島作 清定書 写真 1
豊島作 清定書 写真 1


豊島作 清定書 写真 2
豊島作 清定書 写真 2

数次郎は15〜6歳から36歳までの間の約20年ほどに渡り駒作りをしたと考えられます。最初は稚拙な駒も作ったことでしょう。 そして全盛期にはこの清定のような駒を作ったのです。

この駒の作者を初代 豊島龍山、本名 太郎吉(たろきち)ではなく、静山でもなく、豊島工房の職人でもなく、数次郎と断定していますが、調査に基づくものではありません。 そこでここではこれを仮説とさせていただきます。

豊島清定仮説: この駒は数次郎の作である。

そしてこれを数次郎全盛期の作と考えることで他の龍山作品を考察する際の土台にしたいと思います。 仮説ですから訂正される可能性を含みますが、これを誰が作れたというのだ!というのがわたしの気持ちです。《学問的とはいえないね。浪花節だね梅水さん》


2004年10月27日(水)

最強の竜司

わたし、駒権(こまごん)が大好きです。(八代目駒権。本名 赤松元一)

特に蜀紅(しょっこう)には芸術性をハッキリ感じています。東京ではあまり評価されないと聞きます。先日、ある方と蜀紅の写真を見ながら話していて、「駒権は凄いねぇ」とわたし、「そんなもの大したことないよ」とその方。「駒権が大したことない」、「駒権が大したことないー」、「駒権が大したことないーー」とわたし。《ヤクザっぽいね》 その方には見えていないのですね。その芸術性こそが大したことなのに。

芸術というものは、オリジナル性が重要な意味を持ちます。例えば、ゴッホ(Vincent van Gogh)の作品は真似ることによりオリジナルと遜色のないものを作ることができます。駒の場合もオリジナルの魅力が理解でき、優れた字母紙と技術力があれば、オリジナルに近い作品を作ることができるわけです。だからこそ本当のプロ駒師は字母のオリジナル性にこだわるわけです。しかし必ずしも成功しません。

さて、写真の駒は、桂山(本名 水戸常丸)による竜司書の彫駒です。 この世に三組のみ存在し、その一組を伊藤正和さん(桂山コレクター)よりお譲りいただきました。

竜司書は駒権のオリジナル書体であり、この駒をめぐり裁判による係争が行われました。また、大阪からヤクザが桂山師のもとに脅しにやって来たとの話しもあります。駒権の依頼なのか無関係な支持者が勝手にやって来たのかは不明です。

残りの二組は、一組が西村一義九段(プロ棋士)の元に、もう一組は鬼頭孝生師範(棋道師範 日本将棋連盟名古屋支部幹事長)が所蔵されているとのことです。 いつの日にか西村九段をお訪ねし、もう一つの桂山竜司を見せていただきたいと思っています。

将棋駒 桂山作 竜司書 彫
桂山作 竜司書 彫

わたしは桂山師がこの駒にオリジナル性を加えているものと思っていました。最近オリジナル字母と比較しましたが、結構忠実なのに驚きました。 この竜司という書体は駒権亡き後、いろんな方により作られています。わたしはこの竜司を(駒権を含むかどうかは申しませんが)最強と見ますが、皆様はどうご覧になりますか。

2004年9月20日(月)

宮松影水作 淇州書 =レッド・ドラゴン

久しぶりのコラムです。書きたいことはいっぱいありますが、なぜか書くことができず、2004年になってからはわたしの裸を掲載したままでした。やれやれ、ほっとしています。 さて、写真の駒は宮松影水作 淇州書(みやまつえいすいさく きしゅうしょ)の盛上駒です。所有者に掲載の許可を得ていません。《それって、まずいでしょう》 いつの間にか削除されていたらゴメンナサイ。

将棋駒 宮松影水作 淇州書 写真 1
宮松影水作 淇州書 写真 1

写真の駒は間違いなくレッド・ドラゴン!です。故板谷進九段愛用の駒です。板谷九段は飛車が好きで、この駒も飛車の裏が特にすり減っています。

手に取った瞬間、ゾクッとしたのが忘れられません。大振りで重量感がありました。このような駒が盛上駒の素晴らしさをわたしたちに強烈に伝えます。彫駒では決して表現できない美が存在します。 《彫駒ファンじゃなかったのぉ》 彫駒ファンです。

影水によって数多くの淇州が作られたはずですが、この作品は駒形、面取り共に素晴らしく、力の入った大変丁寧な仕事で、類例の少ない逸品です。

影水流の鋭いイリ、あじのある力強いタメ、繊細であるも勢いのあるハネ。さらに漆の高低が芸術性の発動に生かされています。


このような駒を見てしまいますと、わたしの好きな彫駒も、その存在感が薄れ気味です。どのような彫駒ならこのような駒に等しく対峙できるのでしょう。最近、そのようなことを考えています。

そして、わたしの頭には、奧野錦旗、奧野菱湖、そして駒権が浮かびました。

これらは共に浅彫りではありません。深彫りそれも超のつくものを含みます。それ以外の形では無理でしょうか。そして考えたとき、彫り口で魅せてくれる秀峰、切り口の鋭さ勢いで魅せる天一、精密な彫りで魅せてくれる雅峰が浮かびます。(敬称略)

そして今、盛上駒のレッド・ドラゴンに彫駒で挑む梁山泊と松尾師によるプロジェクト。どのような成果をみ見せてくれるか楽しみです。

宮松影水作 淇州書 写真 2
宮松影水作 淇州書 写真 2


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